[ 2010年08月28日 ~ 2010年08月28日 / 音楽 ]
下記のような輝かしい実績をもつ中野振一郎さんの演奏を是非♪
1990年の10月から11月に大阪で開いた4回連続の独奏会「ヨーロッパ・チェンバロ音楽の旅」により「大阪文化祭金賞」等を受賞。翌年7月にはフランスの「ヴェルサイユ古楽フェスティバル」のクープラン・サイクルに出演。ケネス・ギルバートやボブ・ファン・アスペレンら欧米を代表する名手と肩を並べ「世界の9人のチェンバリスト」の一人に選ばれる。
1992年6月、「バークレー古楽フェスティバル」へ最年少の独奏家として招かれる。
1993年、ロンドンの独奏会場ウィグモア・ホールのデビュー・リサイタルを開き、「日本人には珍しいパーソナリティーを持っている。」と的確な評価を受けた。 1994年10月から12月にはサイモン・スタンデイジとの二重奏を含む3回連続の演奏会「チェンバロ三夜物語」を東京で開き、「豊かな表現」(音楽評論家・岡部真一郎=日本経済新聞)が改めて注目を集めた。
1995年3月・6月・10月と日本経済新聞社主催の「日経リサイタルシリーズ/ワークショップ オブ ミュージック」に出演し、「柔軟・自由・ほどよい即興で自然体、“楽興の時”をきざんでゆく」(音楽評論家・中河原理=1995年6月19日付朝日新聞夕刊)或いは、「さりげない素顔を見せるこの若い音楽家は、間違いなく、日本が世界に誇るべき名手である」(音楽評論家岡本稔=1995年10月20日付日本経済新聞夕刊)と評された。
1999年2月のドイツ招聘演奏旅行ではコレギウム・ムジクム・テレマンを率いて見事に聴衆を沸かせ、ソリストとしてだけではなく、オーケストラの音楽を構成するディレクターとしての魅力を国際的にアピールすることができた。同年10月にはバッハの大曲『ゴルトベルク変奏曲』をCD収録し、11月には東京と名古屋で、12月には大阪で公演。「各変奏が持つ世界を可能な限り忠実に描出しようとする真摯な姿勢には心を打たれる」「先人たちの遺産を鑑み、大地をしっかり踏まえた中野の解釈の方が説得力が大きい」「この基本的な解釈にさらなる年輪が刻まれるのを見守っていきたい」(音楽評論家・岡本稔=1999年11月9日付日本経済新聞夕刊)と絶賛された。12月の大阪公演はこれを皮切りに毎年行われている。
2003年5 月末にはドイツより日本から唯一招聘を受け、「バッハフェスティバル・ライプツィヒ 2003」に出演。ソロ演奏会及びコレギウム・ムジクム・テレマンとの共演等、ソリストあるいはミュージックディレクターとしての力量を遺憾なく発揮。中でもライプツィヒにおける「ゴルトベルク変奏曲」は特筆すべき公演で、現地でも高い評価を得た。尚、この様子はNHK教育テレビ「芸術劇場」にて放映され国内でも話題を呼んだ。
CDの収録にも意欲的で、フランス、イタリア、ドイツ各国の作曲家の作品による多数のソロ・アルバムをリリース。中でも2000年にリリースした「ゴルトベルク変奏曲」ではヒストリカル・チェンバロとモダン・チェンバロによる演奏とをあわせて収録し、レコードアカデミー賞に輝いた。コレギウム・ムジクム・テレマンとのセッションによるCDも2000年以来毎年リリースしている。2003年7月にはソロCDを二枚同時にリリース。2004年5月にはバッハの「フランス組曲」をリリース。これもレコード芸術の特選版に選ばれている。 又、同年7月から8月にかけて行ったドイツでの単独リサイタルツァーでは現地でも大絶賛を受け大きな反響を呼び、続く10月に開催したリサイタルは「平成 16年度文化庁芸術祭・大賞」を受賞する等、日本のみならず世界のチェンバロ奏者としてその地位を不動のものにしている。